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Posted by チェスト at

2016年04月12日

竹野内豊になりたーい!

竹野内豊


美男子というといろいろいらっしゃいますね。亡くなった市川雷蔵さんとか、若い頃の津川雅彦さんとか。
まあ、男女を問わず、美しいものは素直に美しいと認めることにしています。
女性では、ニコール・キッドマンさんやスカーレット・ヨハンソンさんもお美しいですね。

私事で恐縮ですが、実は竹野内豊さんと同学年です。
(品のある)美男子と30年以上思っています。
数年前にスーツを買いに百貨店に行ったら、竹野内豊さんの等身大パネルがあったので
思わずそのスーツを買いました。D'URBANで添付の画像と同じものです。

昔の女性の同僚で、金城武さんのファンがいたので、思わずこう言ってしまいました。
「金城武?ああ、竹野内豊さんがボコボコに殴られて鼻が膨らんだような感じの顔ですよね」
はい!怒られました。もっとも、女性に怒られるのは慣れているので全く気にしませんが。

私自身は、若い頃はサッカーの(キング?)カズさんに似ているとよく言われましたが、
設楽りさ子さんのような女性がもれなくついてきた訳ではないので、あまりメリットはありませんでした。

話は変わりますが、基本的に女性には(めんどくさいので)マメなほうではなく、割と冷たいので、正直モテません。
しかし、1度だけ女性に口説かれそうになったことがあります。キャバクラのキャストの女性でした。

そのキャバクラは、たしか三鷹駅北口方面にありました。三鷹といえば、芸人の「ヒロシです」のヒロシさんがホストをやっていたと聞いたことがあります。

実は、いつも指名している本命の女性(おどろくほど美形ではないものの、知性的でウィットに富む会話が魅力)がいたのですが、人気のかたで指名しても20分くらいで席を移っていました。結果としていわゆるヘルプの女性がつきました。

口説かれそうになったのは、ヘルプに2回ほどついた20代前半のひとにでした。当時私は30歳くらいだったかな。
以下は会話形式…

私 「どうもはじめまして」
女性 「覚えてませんか?前もついたことありますよ。ヘルプでしたけど」
私 「え?そうだっけ?私は抱いた女性しか顔を覚えられないのでね」
女性 「そうなんですか。じゃあだったら今夜お店が終わったらアフターでホテル行きませんか?」
私 「ええ?なんで?」

最近は、前世が眠狂四郎だったことに気づき、肉食系ではなく、給食系なため、据え膳・上げ膳は好き嫌いしないで食べますが、当時は疑り深いほうでした。

女性 「なんだか遊びなれてて、上手そうだから」
私 「俺が竹野内豊だったら納得してもいいけどなあ。ちょっと違うのではないの?」
女性 「実は彼氏がいるんです」
私 「意味不明だね」
女性 「彼氏のことが大好きで、そのうち結婚すると思います」
私 「ますます、わからんな」
女性 「男の人は彼氏しか知らなくて、イったという経験がなくて…結婚する前に女として経験してみたいかなと思って」
私 「うーん…俺は女じゃないから気持ちはわからない。それに彼氏のこと好きなら別にイかなくてもいいのでは?本当にそう思っているとしても、他をあたってください」

結局断りました。そして、この会話の途中で頭をよぎったのは、リターンはともかく、どのようなリスクがあるかということでした。
①新手の美人局の可能性
②本命の女性に知られる可能性
③終わったあとに「なーんだ、たいしたことないのね」と言われる可能性

おそらく③のリスクは大きいような気がしました。

来世は竹野内豊さんに生まれてきたいな。  

Posted by 木原 昌彦 at 17:01Comments(3)キャバクラ

2016年04月12日

コンプラ参り?

金毘羅


コンプライアンスという言葉が世に広まってかなり経ちました。この言葉が流通し始めた当時、たまたまコンプライアンス関連の部署に異動になりました。コンプライアンスとは、「法令遵守」ということらしいです。まあルールを守りましょうということですね。

私は文学部に入れなかったので経済学部に行った理系崩れです。もちろん弁護士ではないですし、法律も商法や会社法、投資信託法などの仕事の関連法規をかじった程度なので、専門家ではありません。日本は法治国家ということになっており、最近は憲法のことで騒がれてますが、私は法律なんて便宜上存在しているだけで、神ならぬ(欠点だらけの)人間が作っただけで、真理とか真実といったほどのものではなく、それほど後生大事にするものではないと考えています。社会情勢が変化し、ひとの意識が変われば法律も変化して当然のことかと思われます。

コンプライアンス関連の部署に移った時思ったのは、大企業などで存在する法務部です。法務部が既にあるのに、コンプライアンス担当部署やコンプライアンス・オフィサーという担当者もいることがあります。同じ法律関係ではあるものの、この違いについて考えてみました。

いわゆる法務部とは、現存する法律の範囲内でどこまでできるかという攻めの姿勢であるような気がします。なので法律を守っていれば何をしてもいい、もしくは都合のいいように解釈するというような、ちょっと下品な感じがしないでもありません。「ルールは破るのではなくて曲げるもの」という表現を耳にしたこともあります。

一方、コンプライアンスのほうは、その法律ができた背景、つまり何のためにその法律が存在しているかという原点、つまり「法の精神」にたち返ったものかと思いました。要するに「ひとの道」に外れないということが目的のようです。気のせいかもしれませんが、コンプライアンスの観点から、ほかの部署に意見を言うと、多くの場合嫌われました。ひとの道より、儲けることのほうが大事とされるからなのかもしれません。

論点はずれますが、商売、商人といった言葉の「商」とは、古代中国の国名で、殷とも言われます。文献では、商の人は、他人からものを購入して、より高い値段で売るというけしからん奴らと言われていたそうです。もちろん、その行為は別段悪いことではなく、必要とされることではあります。この世に存在する仕事に貴賤はないと基本的考えていますが、他人を搾取したり、騙す人もいますね。もちろん何か存在意義があるのかもしれません。ちなみに商という国は、暴虐な紂王の時代に人心が彼から離れ、周王朝に滅ぼされましたが…

ちなみに、こんぴらさん、つまり金刀比羅宮とは香川県にあるようです…子供の頃、自宅近くに百万石という店名のうどんやさんがあり、こんぴらうどんというのがメニューにありましたが…
  

Posted by 木原 昌彦 at 13:19Comments(0)

2016年04月12日

努力の努とは?

アリとキリギリス


若い頃から継続的な努力が苦手なほうです。面白そうだと思ったらすぐに飛びつき、しばらく熱中することもありますが、一定の壁にぶつかると諦める根性なしです。また、同じことをやっていると飽きてくるものの、惰性で行動するという面もあると自己分析しています。ですからひとつの分野を長いことやって極めるかたを尊敬します。

高校生の時に、ヘヴィ・メタルをやっていました。ギターは始めたばかりでクラスメートと組んだバンドではベースを強要されましたので、ギターは自宅で一人で弾いていました。当時好きだったのはスラッシュメタルと言われたものです。これにハマったため、頭を振りすぎて勉強が手につかなくなりました。スラッシュメタルは、比較的早いリフでギターのピッキングは音にエッジを効かせるために、ほぼ全てダウンピッキングでしたので、大学生の時に肉体的限界を感じてやめました。その後、ブルーズやジャズもかじりましたが、かじっただけで消化はしていません。

20代の頃、鬼平犯科帳という時代劇が好きでよく観てました。池波正太郎氏原作ですが、このかたは演歌が嫌いだったそうです。通常、時代劇には演歌がかかることが多いですが、大御所の原作者の意向で、演歌はNGとなり、結果としてGypsyKingsのインスピレーションという曲がエンディングでかかっていました。youtubeでその曲は聴けますのでURLを以下に記します。
https://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEc

この曲を聴いた時、こういうのをやってみたいと思い、たぶんフラメンコというやつだと考えたので、独身寮最寄りの図書館で見た、現代ギターという雑誌に広告が載っていたフラメンコギター教室が通勤の途中の駅(定期券が利用可能!)の荻窪にあったのを発見し、すぐに電話して見学を申込みました。

見学に行くと髭を伸ばした怖そうなひとが先生で、しばらく数名の個人レッスンを見ていました。数時間経って、やっと声をかけられ、「ところで、君はいつからくるの?」と言われましたが。怖かったので「あ…あの…じゃあ来週からお願いします」と当日は見学だけするつもりが入門してしまいました。一年くらいレッスンに通った時、兄弟子から「ところで君はなぜフラメンコを始めたの?」と聞かれたので「いやーGypsyKingsがいいなと思ったので」と答えると大笑いされ、「それはフラメンコじゃないよ」と教えられました。GypsyKingsは、キューバのルンバというリズムを延々とやっているバンドだと後で知りました。

話を戻しますが、努力は苦手なためレッスンを受けたものの、自宅で練習するのが面倒で、しかも当時、コードをあまり知らなかったので、師匠から「お前はコードをあまり知らんので、CとかDとか言ってもすぐには分からんらしいから、これからは干支で教えることにする。西洋音楽は基本12音で成り立っているし、干支はちょうど12個ある。だからフラットやシャープも必要なくて便利だろ!」と言われ、「なるほど!じゃあCメジャーは楽しい虎で、Dmは悲しい辰ということですか?Cディミニッシュは憂鬱な虎ですかね」と答えました。でも、師匠も最初は面白がっていたものの、すぐに飽きたようで、数回後に通常のレッスンに戻りました。

何度も言いますが、努力は苦手です。なぜそうなのか考えたところ、思い当たることがありました。高校生の時に観た映画で、桃井かおりさんと松坂慶子さんなどが出演された「自由な女神たち」というのがありましたが、たしか松坂さんのセリフで「努力の努という字は、女が又(股?)に力を入れる」というのがあり、努の上の部分の「奴」は元々は女の奴隷のことらしいです。私は一応、男なので、努力しなくてもいいんだと気づいたためかもしれません…はい!単なる言い訳です。  

Posted by 木原 昌彦 at 13:13Comments(0)

2016年04月12日

博多の思い出

実は昨年まで福岡県の博多に住んでおりました。週末はカフェのはしごしたり、中洲のBARやキャバクラなどで飲んだりしていました。

また、18歳の時1年弱ほど博多に住んでいたことがあります。現役の時に大学受験に失敗して一浪し、福岡の予備校の寮に入っていました。小学5年生まで漫画家を目指してましたが、同級生に数段上の友人がいたために断念して以来の人生の挫折でした。その友人は高校卒業して上京し、漫画家のアシスタントになったことは噂で聞きましたが、その後は知りません。高校生まで理系でしたが、数学で挫折したのと、歴史と哲学、美術に関心があったことで学芸員という職業に興味があり、そのコースがあった慶応大学の文学部を受験し、当時はかなりの自信家だったため受かる気満々でそこしか受験せず、見事に落ちたため、結果として浪人することになったのでした。現役の時は文学部受験を許してもらいましたが、浪人したら商学部か経済学部を受けるのを両親に約束しており、どうせ浪人するならその分野で一番と言われた東京の国立市にある一橋大学を目指そうと安易に思いました。クラスメートが数名現役で合格してたのでまあ大丈夫だろうと思い、予備校に通い始めた春先に受けた模擬試験でも合格圏内の結果が出たので安心し、予備校近くにあったユーテクプラザという電気街モールや楽器店に通うようになりました。

ギターは高校生から始めましたが、予備校の寮は楽器持ち込み禁止だったので実家からは持って行きませんでした。何度か楽器店に顔を出すうちに店員のかたと顔なじみになりましたが、ギターを買える状況ではなかったのでせいぜい、BURRN!というヘヴィメタ専門誌やギターマガジンを買っていました。ある時に店員のかたにギターは何を使っているのか聞かれて、実は予備校生で寮が持ち込み禁止という事情を話たら、ミニギターを勧められました。通常のギターの半分くらいの大きさで、分解すれば十分かばんに収まる大きさでした。たしか2万円でしたが、その2万円も持っていないことを話すと、「うーん…予備校生だとローンは組めないけど、そんなにギターが欲しいなら、君のことを信用して僕が立て替えてあげるよ。月々2千円僕に払ってくれればいいから」というありがたい申し出があり、その話に乗りました。お店でそのギターを分解し、部品を数回に分けて寮に持ち込み、部屋で組み立てました。アンプを買う余裕がなかったので、持っていたラジカセのマイク端子につないで弾いてました。

たしか2回目の支払いをしにお店に行った時に、「ところで君はバンドやらないか?」と誘われました。楽器店の店員さんの知り合いが趣味でバンドを始めたかったそうで、ドラム担当を探していたとのことでしたが、ドラムはやったことないと話したものの、みんな初心者だから大丈夫ということで、ドラムスティックもその店員さんが使っていたものを無料でもらい、私以外は30代、40代だったこともあり、スタジオ代も払わなくていいからということでした。ギター購入の件でお世話になったこともあり、その話を受けました。寮の部屋で雑誌や辞書、膝などをスティックでたたいて練習し、スタジオにも月数回行きました。練習したのは、フュージョンのスクエア(その後T-スクエアに変名)というバンドのオーメンズ・オブ・ラブなどだったかと記憶しています。

結果として予備校の授業には、国立大2次対策の世界史論文コースを除くとほとんど出ませんでしたが、センター試験対策講座が始まった11月頃にそろそろ勉強しないとまずいかなと思い、一応受験生なので抜けますと言い訳してバンドはやめました。しかし、とき既に遅し…センター試験はそこそこ高得点だったので足切りは免れたものの、第一志望の国立大学は前期・後期とも受験して、見事に落ちて某私立大学に入学しました。

今の仕事が落ち着いたら、休暇にでも博多を訪れたいと思っています。

最後に後日談ですが、当時使っていたミニギターは以前、ブログにも書いた東京の中野にある、坊主BARの店主がギターを始めたいと言われていたので、お布施として納めました。
  

Posted by 木原 昌彦 at 00:35Comments(0)