2016年04月19日
ゆとりかスパルタか…

ゆとり教育というのが以前ありましたが、どうも結果は思わしくなかったようです。たしか個性を伸ばすというのもテーマにあったような気がします。
導入当時既に社会人でした。個性を伸ばすっていったい何なのかよくわかりませんが、同僚とそのことを話題にした時、以下のような意見が出ました。
・ひとを大雑把に分けると、言われなくてもする人 言われたらする人 言われてもしない人の3種類で、ゆとりの結果、言われたらするひとが言われないためにしなくなる。
・学校制度や教育方針、受験勉強などで潰れてしまう程度の個性(?)は、所詮中途半端なので、早いうちに潰してあげたほうが、本人や社会全体のためには良い。
・詰め込み教育を批判するひともいるものの、一定以上はインプットしていないと創造的なアイデアなどは出てこない。
当時も好意的に受け止める人はあまり私の周りにはいませんでした。
私は、家庭教師や塾の講師のアルバイトをしたことしかなく、本職の教員でもなければ、子供もいないので取り立てて教育方針などに関心を持ったことはあまりありません。そして厳密な検証をしたこともないので、単なる気のせいか、思いつきです。
ずいぶん前ですが、日本の弁護士試験の制度が変更(法科大学院ができる前だったかな?)され、たしか受験回数に制限が出来たという記憶があります。その時、働きながら何度も受験して合格を目指す社会経験豊かなひとを排除するのかという批判もでたようですが、社会経験が豊かなのではなくて、単に受験経験が豊かなだけという反論もありあした。
学生時代にたまたま受けた一般教養で、フランスの教育制度というのがテーマにありました。フランスは徹底したエリート養成機関である、グラン・ゼコールという専門学校(別名ENAだったかな?)のようなものがあり、ソルボンヌなどのような伝統のある大学よりも難関とのことです。もっとも、医学とか哲学などは対象外で、日本でいうと高専のようなもののようです。政治家や大企業の経営者などはグラン・セコール出身者が多いようです。ところで、エリートという言葉はフランス語ですが、もともとはあまりいい意味でもなかったようです。フランスなどの欧州は、階級社会的なところがあり、エスタブリッシュメント(にわかセレブなどとは異なる)から見ると、有能かもしれないが、どこの馬の骨だか分からないといった差別用語だったようです。まあ、学業と人格形成や品格というのは別のものなのかもしれません。
はい!なんでこんなこと書いているのかよくわかりませんが、ブログのタイトルどおり、暇人の気のせいなので…ちなみに大雑把に分けたとき…私は気が向いたらするひと…論外かな?そういえば、記事のタイトルに挙げた、スパルタのことを書くの忘れてましたが、まあいいか…ゆとりの後は悟りらしいですね…仏陀が再来?