2016年04月12日
コンプラ参り?
コンプライアンスという言葉が世に広まってかなり経ちました。この言葉が流通し始めた当時、たまたまコンプライアンス関連の部署に異動になりました。コンプライアンスとは、「法令遵守」ということらしいです。まあルールを守りましょうということですね。
私は文学部に入れなかったので経済学部に行った理系崩れです。もちろん弁護士ではないですし、法律も商法や会社法、投資信託法などの仕事の関連法規をかじった程度なので、専門家ではありません。日本は法治国家ということになっており、最近は憲法のことで騒がれてますが、私は法律なんて便宜上存在しているだけで、神ならぬ(欠点だらけの)人間が作っただけで、真理とか真実といったほどのものではなく、それほど後生大事にするものではないと考えています。社会情勢が変化し、ひとの意識が変われば法律も変化して当然のことかと思われます。
コンプライアンス関連の部署に移った時思ったのは、大企業などで存在する法務部です。法務部が既にあるのに、コンプライアンス担当部署やコンプライアンス・オフィサーという担当者もいることがあります。同じ法律関係ではあるものの、この違いについて考えてみました。
いわゆる法務部とは、現存する法律の範囲内でどこまでできるかという攻めの姿勢であるような気がします。なので法律を守っていれば何をしてもいい、もしくは都合のいいように解釈するというような、ちょっと下品な感じがしないでもありません。「ルールは破るのではなくて曲げるもの」という表現を耳にしたこともあります。
一方、コンプライアンスのほうは、その法律ができた背景、つまり何のためにその法律が存在しているかという原点、つまり「法の精神」にたち返ったものかと思いました。要するに「ひとの道」に外れないということが目的のようです。気のせいかもしれませんが、コンプライアンスの観点から、ほかの部署に意見を言うと、多くの場合嫌われました。ひとの道より、儲けることのほうが大事とされるからなのかもしれません。
論点はずれますが、商売、商人といった言葉の「商」とは、古代中国の国名で、殷とも言われます。文献では、商の人は、他人からものを購入して、より高い値段で売るというけしからん奴らと言われていたそうです。もちろん、その行為は別段悪いことではなく、必要とされることではあります。この世に存在する仕事に貴賤はないと基本的考えていますが、他人を搾取したり、騙す人もいますね。もちろん何か存在意義があるのかもしれません。ちなみに商という国は、暴虐な紂王の時代に人心が彼から離れ、周王朝に滅ぼされましたが…
ちなみに、こんぴらさん、つまり金刀比羅宮とは香川県にあるようです…子供の頃、自宅近くに百万石という店名のうどんやさんがあり、こんぴらうどんというのがメニューにありましたが…
Posted by 木原 昌彦 at 13:19│Comments(0)