2016年04月12日
博多の思い出
実は昨年まで福岡県の博多に住んでおりました。週末はカフェのはしごしたり、中洲のBARやキャバクラなどで飲んだりしていました。
また、18歳の時1年弱ほど博多に住んでいたことがあります。現役の時に大学受験に失敗して一浪し、福岡の予備校の寮に入っていました。小学5年生まで漫画家を目指してましたが、同級生に数段上の友人がいたために断念して以来の人生の挫折でした。その友人は高校卒業して上京し、漫画家のアシスタントになったことは噂で聞きましたが、その後は知りません。高校生まで理系でしたが、数学で挫折したのと、歴史と哲学、美術に関心があったことで学芸員という職業に興味があり、そのコースがあった慶応大学の文学部を受験し、当時はかなりの自信家だったため受かる気満々でそこしか受験せず、見事に落ちたため、結果として浪人することになったのでした。現役の時は文学部受験を許してもらいましたが、浪人したら商学部か経済学部を受けるのを両親に約束しており、どうせ浪人するならその分野で一番と言われた東京の国立市にある一橋大学を目指そうと安易に思いました。クラスメートが数名現役で合格してたのでまあ大丈夫だろうと思い、予備校に通い始めた春先に受けた模擬試験でも合格圏内の結果が出たので安心し、予備校近くにあったユーテクプラザという電気街モールや楽器店に通うようになりました。
ギターは高校生から始めましたが、予備校の寮は楽器持ち込み禁止だったので実家からは持って行きませんでした。何度か楽器店に顔を出すうちに店員のかたと顔なじみになりましたが、ギターを買える状況ではなかったのでせいぜい、BURRN!というヘヴィメタ専門誌やギターマガジンを買っていました。ある時に店員のかたにギターは何を使っているのか聞かれて、実は予備校生で寮が持ち込み禁止という事情を話たら、ミニギターを勧められました。通常のギターの半分くらいの大きさで、分解すれば十分かばんに収まる大きさでした。たしか2万円でしたが、その2万円も持っていないことを話すと、「うーん…予備校生だとローンは組めないけど、そんなにギターが欲しいなら、君のことを信用して僕が立て替えてあげるよ。月々2千円僕に払ってくれればいいから」というありがたい申し出があり、その話に乗りました。お店でそのギターを分解し、部品を数回に分けて寮に持ち込み、部屋で組み立てました。アンプを買う余裕がなかったので、持っていたラジカセのマイク端子につないで弾いてました。
たしか2回目の支払いをしにお店に行った時に、「ところで君はバンドやらないか?」と誘われました。楽器店の店員さんの知り合いが趣味でバンドを始めたかったそうで、ドラム担当を探していたとのことでしたが、ドラムはやったことないと話したものの、みんな初心者だから大丈夫ということで、ドラムスティックもその店員さんが使っていたものを無料でもらい、私以外は30代、40代だったこともあり、スタジオ代も払わなくていいからということでした。ギター購入の件でお世話になったこともあり、その話を受けました。寮の部屋で雑誌や辞書、膝などをスティックでたたいて練習し、スタジオにも月数回行きました。練習したのは、フュージョンのスクエア(その後T-スクエアに変名)というバンドのオーメンズ・オブ・ラブなどだったかと記憶しています。
結果として予備校の授業には、国立大2次対策の世界史論文コースを除くとほとんど出ませんでしたが、センター試験対策講座が始まった11月頃にそろそろ勉強しないとまずいかなと思い、一応受験生なので抜けますと言い訳してバンドはやめました。しかし、とき既に遅し…センター試験はそこそこ高得点だったので足切りは免れたものの、第一志望の国立大学は前期・後期とも受験して、見事に落ちて某私立大学に入学しました。
今の仕事が落ち着いたら、休暇にでも博多を訪れたいと思っています。
最後に後日談ですが、当時使っていたミニギターは以前、ブログにも書いた東京の中野にある、坊主BARの店主がギターを始めたいと言われていたので、お布施として納めました。
また、18歳の時1年弱ほど博多に住んでいたことがあります。現役の時に大学受験に失敗して一浪し、福岡の予備校の寮に入っていました。小学5年生まで漫画家を目指してましたが、同級生に数段上の友人がいたために断念して以来の人生の挫折でした。その友人は高校卒業して上京し、漫画家のアシスタントになったことは噂で聞きましたが、その後は知りません。高校生まで理系でしたが、数学で挫折したのと、歴史と哲学、美術に関心があったことで学芸員という職業に興味があり、そのコースがあった慶応大学の文学部を受験し、当時はかなりの自信家だったため受かる気満々でそこしか受験せず、見事に落ちたため、結果として浪人することになったのでした。現役の時は文学部受験を許してもらいましたが、浪人したら商学部か経済学部を受けるのを両親に約束しており、どうせ浪人するならその分野で一番と言われた東京の国立市にある一橋大学を目指そうと安易に思いました。クラスメートが数名現役で合格してたのでまあ大丈夫だろうと思い、予備校に通い始めた春先に受けた模擬試験でも合格圏内の結果が出たので安心し、予備校近くにあったユーテクプラザという電気街モールや楽器店に通うようになりました。
ギターは高校生から始めましたが、予備校の寮は楽器持ち込み禁止だったので実家からは持って行きませんでした。何度か楽器店に顔を出すうちに店員のかたと顔なじみになりましたが、ギターを買える状況ではなかったのでせいぜい、BURRN!というヘヴィメタ専門誌やギターマガジンを買っていました。ある時に店員のかたにギターは何を使っているのか聞かれて、実は予備校生で寮が持ち込み禁止という事情を話たら、ミニギターを勧められました。通常のギターの半分くらいの大きさで、分解すれば十分かばんに収まる大きさでした。たしか2万円でしたが、その2万円も持っていないことを話すと、「うーん…予備校生だとローンは組めないけど、そんなにギターが欲しいなら、君のことを信用して僕が立て替えてあげるよ。月々2千円僕に払ってくれればいいから」というありがたい申し出があり、その話に乗りました。お店でそのギターを分解し、部品を数回に分けて寮に持ち込み、部屋で組み立てました。アンプを買う余裕がなかったので、持っていたラジカセのマイク端子につないで弾いてました。
たしか2回目の支払いをしにお店に行った時に、「ところで君はバンドやらないか?」と誘われました。楽器店の店員さんの知り合いが趣味でバンドを始めたかったそうで、ドラム担当を探していたとのことでしたが、ドラムはやったことないと話したものの、みんな初心者だから大丈夫ということで、ドラムスティックもその店員さんが使っていたものを無料でもらい、私以外は30代、40代だったこともあり、スタジオ代も払わなくていいからということでした。ギター購入の件でお世話になったこともあり、その話を受けました。寮の部屋で雑誌や辞書、膝などをスティックでたたいて練習し、スタジオにも月数回行きました。練習したのは、フュージョンのスクエア(その後T-スクエアに変名)というバンドのオーメンズ・オブ・ラブなどだったかと記憶しています。
結果として予備校の授業には、国立大2次対策の世界史論文コースを除くとほとんど出ませんでしたが、センター試験対策講座が始まった11月頃にそろそろ勉強しないとまずいかなと思い、一応受験生なので抜けますと言い訳してバンドはやめました。しかし、とき既に遅し…センター試験はそこそこ高得点だったので足切りは免れたものの、第一志望の国立大学は前期・後期とも受験して、見事に落ちて某私立大学に入学しました。
今の仕事が落ち着いたら、休暇にでも博多を訪れたいと思っています。
最後に後日談ですが、当時使っていたミニギターは以前、ブログにも書いた東京の中野にある、坊主BARの店主がギターを始めたいと言われていたので、お布施として納めました。
Posted by 木原 昌彦 at 00:35│Comments(0)