2016年04月12日
努力の努とは?
若い頃から継続的な努力が苦手なほうです。面白そうだと思ったらすぐに飛びつき、しばらく熱中することもありますが、一定の壁にぶつかると諦める根性なしです。また、同じことをやっていると飽きてくるものの、惰性で行動するという面もあると自己分析しています。ですからひとつの分野を長いことやって極めるかたを尊敬します。
高校生の時に、ヘヴィ・メタルをやっていました。ギターは始めたばかりでクラスメートと組んだバンドではベースを強要されましたので、ギターは自宅で一人で弾いていました。当時好きだったのはスラッシュメタルと言われたものです。これにハマったため、頭を振りすぎて勉強が手につかなくなりました。スラッシュメタルは、比較的早いリフでギターのピッキングは音にエッジを効かせるために、ほぼ全てダウンピッキングでしたので、大学生の時に肉体的限界を感じてやめました。その後、ブルーズやジャズもかじりましたが、かじっただけで消化はしていません。
20代の頃、鬼平犯科帳という時代劇が好きでよく観てました。池波正太郎氏原作ですが、このかたは演歌が嫌いだったそうです。通常、時代劇には演歌がかかることが多いですが、大御所の原作者の意向で、演歌はNGとなり、結果としてGypsyKingsのインスピレーションという曲がエンディングでかかっていました。youtubeでその曲は聴けますのでURLを以下に記します。
https://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEc
この曲を聴いた時、こういうのをやってみたいと思い、たぶんフラメンコというやつだと考えたので、独身寮最寄りの図書館で見た、現代ギターという雑誌に広告が載っていたフラメンコギター教室が通勤の途中の駅(定期券が利用可能!)の荻窪にあったのを発見し、すぐに電話して見学を申込みました。
見学に行くと髭を伸ばした怖そうなひとが先生で、しばらく数名の個人レッスンを見ていました。数時間経って、やっと声をかけられ、「ところで、君はいつからくるの?」と言われましたが。怖かったので「あ…あの…じゃあ来週からお願いします」と当日は見学だけするつもりが入門してしまいました。一年くらいレッスンに通った時、兄弟子から「ところで君はなぜフラメンコを始めたの?」と聞かれたので「いやーGypsyKingsがいいなと思ったので」と答えると大笑いされ、「それはフラメンコじゃないよ」と教えられました。GypsyKingsは、キューバのルンバというリズムを延々とやっているバンドだと後で知りました。
話を戻しますが、努力は苦手なためレッスンを受けたものの、自宅で練習するのが面倒で、しかも当時、コードをあまり知らなかったので、師匠から「お前はコードをあまり知らんので、CとかDとか言ってもすぐには分からんらしいから、これからは干支で教えることにする。西洋音楽は基本12音で成り立っているし、干支はちょうど12個ある。だからフラットやシャープも必要なくて便利だろ!」と言われ、「なるほど!じゃあCメジャーは楽しい虎で、Dmは悲しい辰ということですか?Cディミニッシュは憂鬱な虎ですかね」と答えました。でも、師匠も最初は面白がっていたものの、すぐに飽きたようで、数回後に通常のレッスンに戻りました。
何度も言いますが、努力は苦手です。なぜそうなのか考えたところ、思い当たることがありました。高校生の時に観た映画で、桃井かおりさんと松坂慶子さんなどが出演された「自由な女神たち」というのがありましたが、たしか松坂さんのセリフで「努力の努という字は、女が又(股?)に力を入れる」というのがあり、努の上の部分の「奴」は元々は女の奴隷のことらしいです。私は一応、男なので、努力しなくてもいいんだと気づいたためかもしれません…はい!単なる言い訳です。
Posted by 木原 昌彦 at 13:13│Comments(0)