2024年01月19日
魔術師になる方法?
東京で投資顧問会社に在籍していた時期の同僚にYさん(たしか一歳年上)というかたがいます。英国留学経験のある紳士でよく私をたしなめてくれました。ファッションに全く興味がない私が「Yさんはいつもおしゃれですね」と言ったら「キハラさん違いますよ。これはおしゃれではなく身だしなみというものです。おしゃれは自分自身のためにすることですが、身だしなみとは周りを不愉快にさせないための最低限のマナーです」とさらりと言われました。
あるとき同僚数人で世間話をしていた時に私が「まあ愛なんて所詮は気のせいですよ」と言ったらYさん曰く「キハラさん違いますよ。気のせいなのではなく愛は機能性です。」と返されました。
機能性→機能 性→機能 of 性→セクシュアル・ファンクション? なんだか歌のタイトルみたいだなと思いました。
話は変わりますが、子供のころや若い頃は割と読書家でした。科学思想や歴史関連の本が一番好きでしたが、実際は濫読なほうで、読まないのはアンチョコ的な自己啓発本や無内容なタレント本くらいです。もっとも、最近はあまり面白そうな本がないので読んでいません。テレビも観ませんし、新聞読むのも何年も前に卒業したので、誤りや恣意的(?)な偏りといったノイズ(?)に溢れたマスコミの情報などとは無縁の生活をしています。まあ、必要な時に必要な情報を得る手段はいろいろあるので特に困ることはありません。
20代半ばの頃、当時通っていた杉並区荻窪のフラメンコギター教室の帰りに、荻窪駅の近くにあった古本屋によく寄っていました。本の値段が見た目が綺麗かどうかで決まるような、なんとかOFFとは違って、いろいろマニアックな本がおかれていました。
ある時、邦題が「魔術師になる方法」という本を見つけました。よくあるトンデモ本かと思ったら、中世ヨーロッパの、錬金術などが真面目に(?)研究されて時期に書かれたものの訳本でした。序章には以下のようなことが書かれていました。
「気のせいという言葉があります。一般的には勘違いといった意味で使われていますが、本来はそうではありません。実は「気」というものが存在していて、そのせいであなたはそう思うのです。気のせいは単なる気のせいではなく、やはり「気」のせいなのです」
ユングの共時性などと似てるのかなと思い目次を見たら、古代ユダヤの数秘術であるカバラなども記載があったので面白そうだと思って購入しました。
まずは、魔術師になるための基礎として、より多くの酸素を脳に供給するための呼吸法について記載があり、試しにやってみましたがすぐに挫折したために魔術師になるのは断念しました。
このブログのタイトルにも使っている「気のせい」を私は日常会話でもよく使います。もっとも、一般的な意味でのほうが多いです。よくわかりやすい話をしようとか、すべきだと言われることはありますが、私はどちらかというと懐疑的で、一般的にわかりやすいという話は、内容に意識を集中しなくても、なんとなくわかったような気がするといった与太話が多いようです。金融商品などの広告やパンフレットなど読む(見る?)と、厳密には誤った内容であったり、一部の情報を大きく取り上げることで誤解を招くような表現を見かけることもあります。もっとも、目的は理解されることではなくて、購入してもらうためなので、嘘にならない程度の誤解を期待しているのかもしれません。本当に理解するためには、ある意味複雑な思考を要するのかもしれません。
そう言えば、アニメのエヴァンゲリオン(ちなみに英語のevangelismは福音主義)の登場人物の加持さんも主人公の誰かを諭してこんな内容のこと言っていました。
「わかったのではなくて、わかったような気がするだけさ」
でも、わかったような気がするだけのほうがストレスはないのかもしれません。知らぬが仏?
※ちなみにこのブログの内容もたぶんタイトルどおり気のせいです。
Posted by 木原 昌彦 at 10:02│Comments(0)
│読書