2024年03月29日

人は見ために?

見た目


以前は、自分はそれなりに人を見る目があると勘違いしていました。
理由として基本的に「人は見た目に寄る」と思っていたからです。

中学生の時、生活指導の先生などが「服装の乱れは心の乱れ」と言っていたのを覚えています。
私の通った中学はと当時「不良の巣窟」のような位置づけだったようでした。私自身は一定数はそういった生徒がいるものと思っていて普通だと思っていたのですが、高校に入った当初に「え?●●中出身なの?」と怖がられた経験もあります。
最近はないでしょうが、旧同和地区出身のいわゆる不良中学生が注意されたことに逆切れして家族を巻き込んで同和問題に持ち込み、人望のあった校長先生を辞任に追い込んだという話も聞きました。

その後の人生でも、問題のありそうな人物は見た目が普通ではないというケースが経験則としてありました。
特に服装や目つきですね。

東京で会社員やっていたころ、私の目からはいつもお洒落と映る英国留学経験のある同僚の男性がいました。
ある時本人に「●●さんはいつもお洒落ですね」と言ったところ、
「キハラさん、違いますよ。これはお洒落ではなくて身だしなみというものです」
まあ、お洒落とは自分のためにすることですが、身だしなみとは周りを不愉快に思わせない配慮というものですね。
私自身はファッションにあまり興味ないのでお洒落には無縁ですが、なるべくTPOは意識していようと思っています。

先日、とある知人が何も悪いことをしていないのに不審者として通報された話を聞きました。私の知る限り真面目なひとですが、
たしかに服装が少し柄が悪い点はあったような気がします。
私も、高校生の時に、比較的激しい音楽をしていたのと背が低いコンプレックスから髪の毛を整髪料で逆立たせていました。
その関係でついたニックネームが「チャボ」とか「鳥頭」でした。
そんな髪型をしていたせいか、友人と待ち合わせをしていたら、警察官から職務質問を受けたことがありました。
まあ、見た目や服装は本人の勝手と言えばそれまでですが、周りから奇異な目で見られるというリスクはありますし、
一定の確率で見た目と中身が一致する可能性も大いにあると思っています。
以前聞かされた話で「二十歳を過ぎたら自分の容姿に責任を持たなければならない」というのもありました。
米国では、肥満のひとは自己管理能力がないと判断されて管理職にはつけないということも本で読んだことがあります。
ある女性には、特に美男子でなくても清潔感があることは最低限必要と聞かされたこともあります。
結局のところ見た目はそれなりに重要ということですね。
現状に甘んじて自分を変えようとしないのは、単なる怠惰であるとも思われてもしかたないのかもしれません。

しかし、本当に中身に問題がある人のなかには、それを悟られないように普通(?)を装い、親切で善人であるふりをしている輩もいるようです。

ここ数年で何度かそういった人物と関わった経験をしたもので、安易に信用しないように心がけようと考えてます。もっとも最初から疑ってかかるわけではありませんが。
最後に使い古された言葉ですが、信用とは築くくのには時間がかかり失うのは簡単であると思われます。



上杉鷹山の経営学

上杉鷹山の経営学
著者:童門冬二
価格:463円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る


Posted by 木原 昌彦 at 20:56│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
人は見ために?
    コメント(0)