2024年01月29日
据え膳食わぬは…

以前のブログではシリーズ化していました、飲食店で知り合った興味深い人物です。おそらく、もう亡くなられたのではないかと思われます。
大学卒業して、とある資産運用会社に就職し、親会社である証券会社の独身寮に入れてもらいました。寮は武蔵野市というところにあり、最寄駅は三鷹でした。寮は30歳までに(結婚して?)出なくてはなりませんでしたが、私は30歳の時まだ独身だったものの、吉祥寺にも近いし、三鷹駅は始発で通勤も便利だったため、通常は結婚していないと入れない家族向けの社宅が同じ武蔵野市あることを聞きつけ、総務課長に交渉して社宅である2DKのマンションに引っ越しました。家賃は確か2万円くらいでした。割と閑静な住宅街にありましたが、住宅街に珍しく、一戸建ての一部を改装した、スナックがありました。
そのスナックの客層は40代、50代のサラリーマン風のかたが多く、世間話をすると多くの場合、仕事の愚痴、過去の栄光の自慢話をよく聞かされたため、あまり面白くなかったのですが、常連のひとりに棺桶に片足を突っ込んでいるような雰囲気のかなりのご高齢と思われる紳士がいました。私は老婦人には興味はありませんが、老紳士には興味があり、いわゆるグランドファーザーコンプレックスです。ちなみに私が生まれたとき、父方、母方ともに祖父は亡くなっていたこともあり、祖父から戦時中などの話を聞く機会がなかったせいかもしれません。
ある時、その老紳士に話しかけてみると、日頃話しかけられることがないからか、喜々として話に乗っていただき、昔のことを教えていただけました。当時の戦況などについてお詳しかったので、どこで戦われていたのか聞いてみると、「いや、ほとんど戦闘には参加していないよ」とのご回答でした。
何度かお会いするうちに、「君は若いのに結構歴史に詳しいね。歴史好きなのかな?」と聞かれたので、ちょっと格好をつけて「いいえ、それほどでもないですよ。まあ、歴史はキャバクラ(現在は卒業してたまにOB会に参加)と同様に男のたしなみみたいなものですから」と答えると、何故かその回答が気に入ったご様子で、「家族にもあまり話してないけど、実は私は陸軍中野学校出身なんだよ」と話し始めました。陸軍中野学校とは戦時中存在した、いわゆるスパイ養成学校のことで、体力があって、頭脳明晰かつ機転がきくといった若者がスカウトされたようです。そのかたは、上官の推薦で編入したようでしたが、訓練後には主にマレーシアに商社マンという肩書きで派遣され、現地での諜報活動や現地人エージェントのスカウトなどしていたそうです。もっともスパイは国際法で認められていないのでバレたら即処刑される運命にあり、そのかたの同期のかたは半分近く処刑されてな亡くなったとのことでした。
陸軍中野学校は、以前、市川雷蔵という美形の俳優が主演で映画化されていましたが、柴田錬三郎氏原作の眠り狂四郎のほうが有名ですね。眠狂四郎といえば、「据え膳食わぬは男の恥」というのがありました。ちなみに私はいわゆる草食系ではなく、給食系です。出されたものは好き嫌いせず食べないといけないという家庭に育ったもので…上げ膳もいいなあ…円月殺法はできません…長谷川平蔵の無外流ならぬ、無害流なので…
Posted by 木原 昌彦 at 01:00│Comments(0)